発起人

小西 一彦

1941年10月1日生、東大阪市出身。
大阪市立大学経済学部(1961年~1965年)、塩野義製薬株式会社(1965年~1968年)、大阪市立大学大学院経営研究科修士課程/博士課程(1969年~1975年)、兵庫県立神戸商科大学商経学部助手、講師、助教授、教授(1975年~2004年)、県立3大学の統合で兵庫県立大学経営学部教授(2004年~2005年)、追手門学院大学経営学部教授(2005年~2012年)、別途、神戸市外国語大学、追手門学院大学、大阪市立大学、同志社大学大学院、等で非常勤講師を兼任。現在は、兵庫県立大学名誉教授(2005年~)。公職は在職中に、兵庫県大規模小売店舗審議会審査会長、薬事審議会委員及び会長、卸売市場審議会副会長、などを歴任。

1995年の阪神・淡路大震災を機に県内の産業(新長田靴業界)、商業(卸売業、市場/商店街、薬局/薬店)、消費者(神戸市勤労者500世帯)などで大規模実態調査を実施。
2001年~神戸・大阪・北摂・京都に4つのべンチャー研究会を設立、世話人/代表として、関西ベンチャーの発掘と支援の活動を行う。

最近、ソーシャルビジネスとビジネスモデルの研究に力を入れている。
所属学会は、日本商業学会(会員)、日本流通学会(会員)、日本産業学会(会員)、関西ベンチャー学会(会員/副会長)、日本ビジネスモデル学会(会員/関西部会長)。
専門領域は、サービス論、商業論、流通論、マーケティング論、ベンチャービジネス論、ビジネスモデル論。

実務は、西和総合研究所株式会社代表取締役(2007年~現在)、一般社団法人H&S代表理事(2012年~現在)、一般社団法人Health監事、財団法人コーナン財団理事、学校法人森学園ICT専門学校評議員。
研究室/事務所(新大阪駅前2分:2012年~現在)、自宅(茨木市)、子供(1女2男、孫4人)、趣味(パソコン、音楽、散歩、農業、研究会)。

連絡受付(090-3845-8795、konishikazu@gmail.com、Facebook、Line)。

創設にあたって(創設時の会則前文)

「失われた10年が終わり」、日本経済には明るい兆しが見られ始めた。社会の構造も新しい時代への転換が鮮明化している。市場の成熟化、経済のグローバル化、社会の高度情報化などが時代の潮流であることは明白である。そして、地球環境の問題や財政赤字の問題、年金、社会保障、等の政治的、社会的な問題は山積している。

このような時代の潮流と山積する諸問題への対応を考えたとき、関西の中心に位置する大阪にとって、いま、何に最も力を入れて取り組むべきであるか。新しい事業、新しい産業の創造である。そして、それを担うベンチャーの、多数、誕生であり、育成・支援である。

国によるベンチャー支援の施策と体制は、この10年で急速に整備された。新規事業の立ち上げは社会から強く期待された。お蔭で以前と比べると起業は随分と易しくなった。だが、それにもかかわらず、国内の新事業、ベンチャー的経営の担い手は少数である。大阪でもベンチャーの誕生は他地域と比較して決して活発であると言うことはできない。何が問題か。

ベンチャーが首尾よく誕生し成功していくには、人、技術、情報、知識、理論など、もう一つの社会インフラも主体のべンチャーにとって、使い勝手良く提供されていくのでなければならない。残念ながら、わが国の現状は、これが不十分であり不徹底なのである。例えば、既存の企業の職場のように、ベンチャーたちが、毎日、仲間で集まり、夜を徹してでも語り合える場は、どの地域でもあまり提供されていない。これが日本の、そして大阪のベンチャーが低調な理由であると指摘できる。

そこで、この地域でも、ベンチャーが首尾よく誕生し、その後もここに拠点を置き、他からも集まってくるような条件を整備していくために、私たちは何をどのようにしていくか、いろいろと研究し、成果を関係方面に伝えていくことが重要である。

こうして、ベンチャーに関心を寄せる、経営者、支援事業者、学者、研究者、学生、行政マン、金融マン、会社員、等が一堂に集まり、「大阪ベンチャー研究会」を設立し、任意団体としての活動を行うことにした。そのための会則を以下のように定める。

2005年吉日